『本日は全国的に晴れるところが多いでしょう。
にわか雨の心配もなく、お洗濯日和です―――・・』
アナウンサーの言葉に続いて、底抜けに明るいメロディと一緒に天気予報が流れる。
見れば日本列島にぽんぽんと浮かんでいるのは幾つもの晴れマーク
皿の上にはいつもの朝食が並び、テレビからはいつもの朝の情報番組が流れ、テーブルの向かいにはいつも見るあの人の顔
まさにいつも通り、我が家の朝の光景であった。
「ねぇ、確か今日からだったわよね、お仕事で泊まり込み」
「そうそう。パーティの準備も大詰めだからさ、やんなきゃいけない事盛り沢山で。
もう少ししたら、一足先に向こう行ってる影が迎えに来てくれる筈」
そんなに寂しがらなくても、こっちの時間で5,6日もあれば帰ってくるさと締まりのない笑みを浮かべる彼に
はいはい気をつけて行ってらっしゃいと これまたいつもの遣り取りを済ませ、食器をキッチンへと運ぶ
水は日毎冷たさを増し、是非この冷感を夏に分けてやりたかったとぼんやり考える
それでもガラス越しに浴びる日光はとろりと暖かく、なるほど確かに今日は洗濯日和のようだ
今日は久々に家中のシーツとカバーを洗濯しようかしらと頭の中で計画を立てていれば
テレビは世界の情勢ニュースから今日の特集コーナーの時間になっていた。
『来週の日曜日は11月22日。この日を語呂合わせで“いい夫婦”と読み、
夫婦の絆を再確認する記念日としてここ数年で急激に注目度が上がっています。
そこで本日は、“いい夫婦の日”特集と題して―――・・』
「お、いい夫婦の日かー。確かこないだハマノフも言ってたなぁ、その日は奥さんとデートだとかなんとか。
新聞のこの記事にも書いてあるよ、“いい夫婦の日には互いに感謝し、お祝いしよう!”だって」
ほら見てここ、と指を指されても生憎洗剤で泡まみれの両手ではキッチンを離れることなど出来ない。
食器洗いを済ませ、食後のコーヒーを持ってリビングに戻ると、画面の向こうでは記念日にちなんだ贈り物をスタジオで紹介しているところだった
画面を見つめながらぼんやりと独り言を呟き、コーヒーを一口。
「ふーん、いい夫婦の日・・でもまぁ、ウチには関係ないわね」
ごとり。
向かいのマグカップが急にバランスを崩し、テーブルを震わせた。
++ 11.22 ++
ちょっと、どうしたのよ急に。そんなにコーヒー熱かった?
お、お前、それって一体・・・
それ…?あぁ、このマグカップ。珍しいデザインねぇ、と思って買っちゃったの
いやいやそうじゃ無くて!さ、さっきの発言は一体どういった意味があって―――・・
「おっはよー、MZD!向こうの仕事が一段落したからさ、予定よりちょっと早いけど迎えに来ちゃった!」
一体どういう仕組だろうか、どこからともなくニャミさんが影と一緒にやって来た。
鮮やかな青のつなぎを身に纏いながら きっと次回の“パーティ”のテーマなのだろう、手甲や袴を手に持っている
これから始まる様々な出来事への期待と喜び。きらきらと輝き弾ける笑顔が微笑ましかった。
あぁもう、何でこのタイミングで来ちゃうかなぁお前達は!
何よー、折角美女がお迎えに来てあげたっていうのに……あ、もしかしてお取り込み中?
いいえ全く。それじゃあニャミさん、沢山苦労掛けると思うけれど、この人をどうぞ宜しくね
はい、ミミちゃんにも伝えておきますね。ほらMZD、みんな待ちくたびれてるから早く行こう!
まだ話があるとごねる彼に構うことなく、ぐいぐい押しやる影達を笑顔で見送り リビングに静けさが戻る
一つ背伸びをした後、シーツを外してこようと階段の方向へ向かい、テレビを消した。
(何か、どっと疲れちゃった……何回受けても、あの検査には慣れないわ)
乗り場でバスを待つ間も、ずっと心配そうな表情を続ける影をなだめつつ駅へと向かう。
普段の診察は家から近い個人診療所にお世話になっているのだが、月に1度は都心の大病院へ定期検査を受けに行かなければならない
予約をしていても長時間待つ上に 検査内容も決して楽しいものではないので、毎回この日は心身共にくたびれるのだ
帰宅途中に倒れてしまい、再度病院へ担ぎ込まれる出来事があってからは 心配性のあの人が必ず影を通院に付き添わせるようになった
私としては行き帰りに話し相手がいるのは嬉しい一方、彼や影の負担になっていやしないかと不安にもなる
招待状の封蝋とじなど、家で出来る事は可能な限り手伝っているけれど、この付き添いの為に進められない作業もきっとあるだろう
特に次回の“パーティ”準備の追い込みでもある今の時期は尚更だ
バスを降りると冷たい風がコートの中にも忍び込み 思わず身を縮こませ、鞄を持つ手にも力が入る
この後、影はまたお仕事で向こうにいくのよねと確認しようとすれば、ついさっきまで隣にいたあの子がいない
振り返ると、何かを見つけたのか、嬉しそうに大きく両腕を振る影の姿が見えた
その目線の先を追っていくと――――・・
「おやまぁ、これはこれは何とも素敵な偶然だねぇ。お久しぶり」
「スマイル……」
今日はあの怪しいDJ男子は隣にいないんだねと歯を見せるスマイルに
いつもの追い込み時期で3日前から仕事場に缶詰めなのよと返事を返す
「あぁ成る程、それで少し前に僕へ招待状が届いたわけだ……どっかに無くしちゃったけど」
悪びれた様子もなくさらりと言い放ったスマイルの発言に思わず口元が緩んだ
きっとその辺りに放り出されたままの封状は彼等のマネージャーかアッシュさんに拾われ、3人分纏めて大切に保管されているのだろう
恐らく人によっては喉から手が出るほど欲しいであろう あの人からの“招待状”も、
目の前の彼から見れば少し上等なダイレクトメールといったところなのかもしれない。
私の結婚相手をむやみに神格化せず 一個人として接するスマイルの姿勢は、いつだって心地好かった
そのままほんの少し、立ったままで互いの近況報告などを話していたとき
スマイルが羽織るコートのポケットから聞こえてきたのは無機質な機械音(アラーム)
摘み上げた携帯から鳴り続けるそれを渋々と、しかしどこか楽しそうに止めてから此方を向いた。
「もう少し話していたいんだけど、撮影の合間にこっそり抜け出してきたからそろそろ戻らないと…
もうじき僕がいないのが誰かさんにばれて、大っきな雷が落とされてしまいそうだからねぇ」
くわばらくわばらー、と言いながら荷物を身体の前で抱き抱えるスマイルを見ていると ついこちらも顔がほころぶ
誰に対しても気配り上手で聞き上手、基本の応対は大人なのに時折見える悪戯っ子の幼い表情
そして何より彼の笑顔は いつも力を与えてくれるのだ。どんな時も、私がどんな状況でも。
「ご免なさいね、折角の息抜きに話し込んじゃって。何だか申し訳なくなっちゃった」
「とんでもない、僕の方こそ久々に話せて楽しかったよ。じゃあ、呼び止めてしまったお詫びの印に…ハイ、これ」
ついさっきそこで買ったものだからと、手渡されたのは有名な珈琲チェーン店の紙袋。
まだ熱さの残る紙コップからは微かに甘い香りが立ち上っている
以前、照明のスタッフさんのやつを一口飲ませて貰ったら美味しくてねぇ。
それ以来偶にそのお店で買ってるんだよ。まぁいつも同じものしか頼まないんだけどさ。
ぼかぁあんなに複雑なメニュー覚えられないから、アッシュに注文時の台詞を全部書いて貰ったんだ。
それにしたって、店員さんへ色々な追加注文をしている人は本当に凄いよねぇ……
とっても複雑でさ 聞いているとまるで、正義の味方を召喚する呪文を唱えているようだもの。
これは貴方が飲みたくて買ったものなのだから、私はとても受け取れないわと伝えても
それならもう1回買い直せば良いんだし、僕が飲んで貰いたいだけだからと あの笑顔で言われてしまったら敵わない。
「…そう、ならありがたく頂戴するわ。今度また何かでお礼をさせてね」
「どういたしまして。これから寒くなってくるから影も風邪ひかないようにね。それじゃあ」
去り際、彼に頭をなでて貰った影はにこにこ顔のまま、スマイルの姿が見えなくなるまで手を振った
人々の吐く息は白く、街は一月先の大イベントに向けて早くも赤と緑の広告に身を包む
ショーウィンドウを覗き込む子ども達にとって、おもちゃを運んで来てくれる白髭のおじいさんは 正にヒーローそのものに映るのだろうか
(私にとっては貴方も素敵な正義の味方よ、スマイル)
「ねぇ影、この事――――スマイルに会った事は、あの人には秘密ね?」
子どもはいつだって内緒事が大好きだ。こっくりと頷く影とこっそり、指切りをした。